香港返還がもたらした、保険契約者たちの「悪夢」
1997年7月1日、香港の主権が中国に返還された。この日を境に、香港の保険契約者たちは前代未聞の不安に苛まれることとなる。「香港の保険証券は、中国政府に没収されるのではないか」
「法律や制度が一変し、積み上げてきた資産が紙くず同然になるのではないか」。後に「香港保険史上、一、二を争う不安の時代」と評されるこの事態に、香港でビジネスを展開する企業は知恵と柔軟性で臨むことになる。彼らが編み出した解決策、それが「オフショア化」という発想だ。
オフショア化の本質——「政治」と「資産」の物理的隔離
オフショア化を簡潔に定義すれば、「自らの資産または法人の本拠を、居住地(オンショア)の法律・政治・税制が及ばない『外部(オフ)』に移転する行為」を指す。金融・保険の文脈においては、「政治リスクから資産を遮断する最終防衛ライン」と表現するのが適切だろう。
ジャーディン・ムーブ
オフショア化の象徴的出来事として語り継がれるのが、「ジャーディン・ムーブ」だ。返還決定から3年後の1984年、香港最大級の英系財閥ジャーディン・マセソン社が突如として「法的本拠地(ドミサイル)をバミューダに移転する」と宣言した。この報道は香港ビジネス界に衝撃波を走らせた。表向きは「事業の国際化戦略」と説明されたが、誰の目にも「共産党政権下で英国式の司法制度が維持される保証はない」という経営判断が見え透いていた。このジャーディンの決断は、香港でビジネスを展開する企業に二つの重要な教訓を残す。一つは「オフショア化という選択肢の有効性」、そしてもう一つは「中国政府を怒らせずいかにうまく立ち回るか」。
保険会社のしたたかな生存戦略(ぬるりと立ち回る)
ジャーディンが中国政府の怒りを買い「やり玉に挙げられる」姿を横目に、他の企業は洗練されたオトナなアプローチを模索し始める。
- 表面的な忠誠と、実質的な安全策の使い分け
本社機能やブランドは香港に残し「脱香港」の印象を与えない。その一方で、法的なガバナンス構造や契約の準拠法は、シレっとオフショア(主にバミューダやケイマン諸島)へと移管。
この流れは保険業界も同様であった。サン・ライフ、マニュライフといった外資系保険会社のみならず、HSBC香港などの主要金融機関も「ドミサイルの海外移転」を行う。当時、香港証券取引所上場企業の実に半数以上が、ケイマン籍やバミューダ籍を取得していたと言われる。
サン・ライフに見る「大人の処世術」
中でもカナダ系保険会社サン・ライフの対応は秀逸で、彼らは中国政府を刺激することなく自社の資産と契約者の権益を守るため以下の働きかけを政府にする。
- 中国市場への擦り寄り(と見せかけた関係構築)
中国現地の保険会社との合弁事業を積極的に推進。「我々は中国の発展に貢献する企業である」というイメージを入念に植え付ける。 - 公的制度への参画による「お墨付き」の獲得
香港国内では「MPF(強制積立金/日本の厚生年金基金に相当する公的制度)の運用業務を受託。政府機関との長期的な信頼関係を構築し、「この会社をつぶすわけにはいかない」という政治的判断を引き出す下地を作った。
こうしてサン・ライフは、中国政府との友好関係を維持しながら、自社の資産と契約者の権益を政治リスクから遮断することに成功したのである。
2047年問題と香港保険加入の意思決定の拠り所
この記事は2047年。そしてそのずっと先を意識した上で書いている。だが、ここで一つ、お伝えしておきたいことは、もし今、あなたが「将来的な中国と香港の関係性や政治的な観点」から香港保険を眺め、加入の意思決定ができていないのであれば、香港保険の加入は見送るのが良いかも知れない。白黒がはっきりした基準で将来を見ようとする限り意思決定など到底できない。だが、香港保険への思いはなかなか抑えられず、加入をしたいのであれば、政治的な部分に対しては片目だけでもつぶり、歴史が繰り返してくれることを願いつつ、過去を参考に意思決定をしてゆくことになる。第二次世界大戦後、保険会社は相互扶助の精神で契約者の資産を守るために団結したという事実がある。そしてジャーディン・ショック以降、保険会社や金融機関が「中国政府との微妙な関係性の維持」、「資産のオフショア化」という二つの目的を同時に成し遂げてきたという歴史がある。「この世に100%安全なものなど存在しない」という現実を受け入ることができるのであれば、保険会社が積み上げてきた「オフショア」という防壁の歴史と、絶妙な中国政府との関係性の存在を意識し、そして拠り所として加入の意思決定をしてみてはいかがだろうか。真のグレー、曖昧さを受け入れることができれば、加入の意思決定に少し近づけるはずだ。


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