3月20日。北角駅にあるホテルで嫁のウサギさんが脳出血を起こし病院に運ばれた。トイレから出てきたウサギさん。壁に体を持たれ掛けながら「だめだ立っていられない」。ズルズルと床に倒れ込んだ。すぐにホテルに受付に内線で電話をする。「救急車を呼んで下さい」。「病名が分からないと救急車を呼べません」。「知るかそんなこと。いいから、さっさと救急車を呼べ」どなりつけていた。床に横になっているウサギさんをベットに移す。意識ははっきりしていた。会話もできるが左半身が全く動かない。病院に運ばれた。病名は軽度の脳出血。幸い命に別状はなく大きな後遺症もない。今も、左下半身に痺れはあるようだが、それでもこれまで通り旅行をしたり今まで通りの生活をおくれている。
エレベーター入れ替え工事。24年の11月から3月末まで、自宅マンションのエレベーターの入れ替え工事のためホテル暮らしをしていた。23階建ての細長いマンションの22階に私たちの部屋はある。エレベーターは一機だけ。工事の間、自分の部屋には上がるには非常階段を使うしかない。階段を上り下りしながら生活をしようと思えば出来ないことは無かった。だがそれができない理由があった。スーツケースだ。仕事で毎月のように海外への出張がある私。うさぎさんもたいてい私の出張についてくる。機内に持ち込む小さいのが2つ。そしてチェックインするどでかい20kgを超すスーツケースが2つ。これらの存在がホテル暮らしを決断させた。私たちには子供がいない。子供がいない夫婦の強みは機動性の高さだ。「旅をしながら生きる」を合言葉にこれまで夫婦二人時間を過ごしてきた。そんな背景もあるので何か特別な理由がない限りは、私が香港を離れる時は何か特別な理由がない限りは同行させるようにしている。
精神的にも体力的にもつらい時期だったのだろう。エレベーターの工事が始まる少し前の10月。可愛がっていたニャー君が旅立った。グランタグのオフィスとその前の大きな通りを挟んだ、道向かいにある孫文記念公園がニャー君のすみかだった。出張や旅行で香港に居ない時以外は、ほぼ毎日のように3年と8カ月、公園に足を運んでいた。かけがえのない時間だった。過去に2度、子宮外妊娠で子供を亡くしている。大切な命を失うのはこれで3度目になる。今もあの公園には散歩がてら手を合わせに行くが、その度に手の甲で頬骨のあたりを拭っている。この辛い出来事から完全に立ち直れていない状態でのホテル暮らし。想像以上にうさぎさんを疲れさせていたのかもしれない。
公立の病院で良かった。公立の病院に3日。そして自宅近くにある私立の病院に3日にうさぎさんは入院した。今更の話だが、金銭的な理由でも、それ以外の理由でも公立の病院で良かったと感じている。後で知ったことだが、公立の病院にはなかなか入院ができないようで、医者に診てもらうのに数週間、数か月待ちと言う状態らしい。
初日はICUに居たうさぎさんだが、翌日には一般病棟に移された。症状がそこまで悪くないと医者が判断したようだ。うさぎさんも別段何も言わないのでそのままで良いだろうと思っていたが、義理のおやじジェフリーが公立病院の環境に耐えられなかったようで私立の病院の手配をしてくれた。カノッサと言う香港島側にある病院だ。だが驚いたのは、受付のスタッフ含め、看護婦と、お世辞にも優秀と言えるスタッフがいない。看護婦の技能や能力の判定基準が何かは分からないが、素人の私から見ても明らかに手際が悪い。それに比べ公立病院のスタッフは全く違う。全員ではないのだろうが、無表情に黙々と仕事をしていた。手際も良く仕事をしていた感じだ。ちなみに、治療費は公立の病院は全てこみこみで250香港ドル(日本円で5,000程度)、私立の病院は80,000$(日本円で160万円程度)になる。うさぎさんは民間の保険に加入しているので8割は保険会社が負担してくれるが、それでも残り2割は実費になる。
上がる血圧。血圧を測ることが心底苦手なうさぎさん。血圧は図りたくないと、2日目から医者、看護婦たちと喧嘩を始める。脳出血で倒れているので、血圧は絶対に上げてはいけない。だがそんなことはお構いなしのうさぎさん。看護婦や医師とガチで喧嘩をしているではないか。静かな病院の通路にウサギさんの怒号が響き渡る。見舞いにきているウサギさんの両親と弟がなだめるも全く聞かない。私が止めようとすると、怒りの矛先が私に向く。普段であればまちがいなくガチの夫婦喧嘩をしていたが、さすがにあの時だけは我慢した。うさぎさんの血圧があがり病状が悪化するかも知れないと言う恐怖。喧嘩を売られているのに、我慢しなければいけないという状況で、私の血圧は間違いなく過去最高を記録していた。ちなみに医者からは少なくても1週間は入院するべきだと言われていたが、結局それも無視し、3日で退院した。
3月末に退院しそれから6月ごろまでは料理も看病も得意ではない私がウサギさんの世話をしてきた。7月になってやっと普段の生活のペースに戻ってはきたが、前半の6か月がホテル住まいと慣れない看病でゴタゴタしていたこともあり、2025年はいつの間にか終わってしまった感じである。とはいえ、こうして今年も何とか夫婦二人で乗り切ることができたことには感謝しかない。幸い私は今年も大きな病気になることもなく元気に過ごすことが出来た。ただ今回のうさぎさんの病気や、つい先日ジム帰りにエスカレーターから転げ落ちてきた中年男性の姿(恐らく脳の病気だろう)を目の当たりにし、これまで毎晩飲んでいた酒を減らすことを決断した。
日本。韓国。タイ。私の主なバトルフィールドはこれら3か国になる。日本にはほぼ毎月、韓国も毎月か2か月に一回の割合で渡航をしている。タイは基本休暇での訪問とはなるが、どのような渡航理由であれ、もし対面でのご面談をご希望の場合は遠慮なくお声かけください。


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