曖昧なことは曖昧なままで

香港保険

香港返還(1997年)当時、保険契約者にとって「保険証券が中国政府に没収されるのではないか」「法律や制度が変わり自分の資産、保険証券価値が無くなるのではないか」という、契約者が香港保険の歴史上、最大級の不安に直面した出来事だっと言われている。当時、香港でビジネスをしていた企業は保険会社に限らず、顧客、契約者の不安を払拭し、彼らの資産を守るための仕組みを作った。それがオフショア化だ。この当時に構築されたシステムは現在も機能し香港でビジネスを展開する企業や保険会社そして、契約者の資産を守り続けている。

オフショア化の定義:「自分の資産や会社の拠点を、今住んでいる場所(オンショア)の法律や政治、税制が及ばない『外(オフ)』へ移すこと」。金融や保険の文脈においては、「政治や法律の急変から資産を物理的に切り離す」という意味。

香港内企業のオフショアブーム先駆けのできごと

オフショア化を象徴するジャーディン・ムーブと言う有名な出来事がある。返還決定が決まった直後の1984年、ジャーディン・マセソン社(香港最大級の英国系財閥企業)が「法的拠り所をバューダに移す」と言う決定を下し、香港内に激震が走った。この決定の背景には「共産党政権下では英国式の公平な裁判や企業法が維持されない可能性がある」という懸念があったからだと言われる。当時、保険会社だけでなく香港内でビジネスを行う多くの企業が自社ビジネスのオフショア化を行っていた。サン・ライフやマニュライフと言った外資系保険会社だけでなくHSBC香港といった大手金融機関が次々と法的籍/ドミサイル」を海外へ移す動きを取る。ケイマン籍へ登記を移した企業を加えると、香港証券取引所に上場していた企業の半分以上が法的な籍をこれらオフショアに移したと言われている。

ジャーディンが中国政府をブチギレさせる姿を見て、うまく立ち回る保険会社。

先陣をきって法的籍をバミューダに移したジャーディン・マセソン社だが、当然中国政府をぶち切れさせることになる。マセソン社がやり玉に挙げられている姿を見た他の企業は当然、中国政府をあまり刺激することなく、看板は香港に置きつつ、脱香港のイメージを感じられないようガバナンスをオフショアに移すことに努める。その中でもサン・ライフのタヌキ親父っぷり全開の画策は秀逸で、中国現地の保険会社と合弁ででビジネスを行ったり、香港国内においてはMPF(強制積立金)と言った日本でいう年金の運用を担うことで長期的な関係性をアピールしつつ政治的な影響を受けにくいポジションを確立した。

香港保険を白黒はっきりさせた状態で加入することは不可

この記事は2047年。そしてそのずっと先を意識した上で書いているわけだが、香港保険の加入において、「中国と香港の関係性が上手くいっている、香港は中国からの政治的な影響は受けない」言う文脈であり基準で加入の意思決定をすると、間違いなく、加入は見送るべきだ、と言う判断になる。歴史は繰り返されると声を大にして言いたいが、残念ながら将来を言い当てることは誰にもできない。もし仮に今、香港保険の加入を円安以外の理由でためらっているのであれば、先々の不安(誰にも解決できない)は曖昧なままの状態にしておき、過去においては、戦争時、保険会社が相互扶助の精神で契約者の資産を守るために一致団結した経緯がある。そして保険会社による中国政府との友好な関係性の維持と卓越したさじ加減と調整力を背景としたこの究極のオフショアメソッドを拠り所として運用されていると言う事実を根拠に加入の意思決定をする必要がある。もし曖昧なままでは意思決定が出来ないと言うのであれば、香港保険加入検討はさっさと止めるべきだろう。香港保険は少し緩めのスタンスで眺め、利回りも全然日本のくそ保険に比べたらマシ。下手くそで洗練されていな自分の腕で投資をして、金を溶かすよりはまだマシだと思えたなら、ヌルリと意思決定をするのがベターだ。

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